アミタール・ソーダで夢さえ見ない夏(2017夏所感)

上北沢無電塔前
 わずかな賑わいを見せながらしかしその潮時は遠く、真昼の透光はいよいよ遠方へ過ぎて行くと、長い間静まり返っていた市街は再び繁華の様相を呈しはじめていた。しばらく歩き続けてきた両脚と喧騒の休みどころを探して小さな古本書肆に足を踏み入れると、忙しなく進む街の速度はとみに低速になってフィルムの一齣のように静止すれば、僕はすでに深い興味の中に沈み込んでいるのであり、そして店内を満たされ始めていた痛ましい何かにようやく気づいたときには、店の小さなスピーカーから不似合いな哀しさを湛えていた別れの曲がいつの間にかジムノペディに変わっていたのだった……

単純な生活のなかにあってその構造に深く組み込まれたあらゆる記号の存在は生の進行においてきわめて重要な指標であり、人間は無意識にそれによりかかりながら各々の生活パターンを繰り返している。あらゆる変化や現象の生起は記号の変化と密接に係い合い、その一つひとつに便宜的に名が付されているのであるが、それらの記号によってつくり出された様々な観念や経験的法則が円環の形状を強かに固定しているため、不規則な事物の生起はその受容において多大な負荷を被るものであり、例えば僕が抱いたサイクルの瓦解的感覚はやがてその全体性をも失認しかねるほどに発展してしまうのであった。それは上述のような単純なパターンの繰り返しが窮屈なほど膨大な規矩を基にして構築されているという事実を、そしてその循環が低速ながらに進んでいるというまあそんな感じみたいなやつをもたらしては云々……

『Xの回想』より
《“美しい夢。湖畔の雛壇式庭園、できることなら自分がなりたいと思うもの、つまり夏の空に向いているドア。”》
 ――店を出ると夏は終わりかけていた……


窓ガラスヲ開ケ
夏の静止的な時間の潮流は絶対的な印象の上で絶えず虚空に空回りしている。その少楽曲の反復のようにきわめて単純な調子で……しかし夏の観念は飽和され、そして花火のように弾け、飛散した印象の断片は頭の中で限りなく印象的に再生される……季節の新しい海が溶明とその顔を覗かせていた。今年も又夏を反故にしてしまったような気がする……
誰もがどこにも行けず、またどこにも行けない。おそらく誰もそんな小洒落た背反に憐憫して下らない満足に浸っているのだ。過去に拘泥され続ける少女も、あいつも、あの人も、君も僕も、ジェームズも、ラーメン屋の店主も、見習いのバイトも、事故ったやつも、学校サボった不良も、殺したいやつも、三毛猫のモケリング-αも、アロエが大好きなディスコババアも、Cドライブに置き忘れた機構ファイルも、未来しか見えない分裂病のアクアビークルも、毎日朝一の教室でハードドラッグをキメるラリパッパジャンキーも、爆破予告を送りつけるのが趣味の自称爆弾魔も、ウェルテルの愛をもって入水した蔵之介・ルキエも、nojikasとかいうケロケロゴミバンドのアイツも、 ハーレム主人公の引力の研究に一生を費やしたサイエンティストも、自殺未遂で風紀委員に直接的に絆されたカフカが大好きなメンタームスティック餓鬼道も、次元跳躍して謎の集合体に成ったあげく霊異世界に更迭されたあのポポロンクロイシスだって……


行間の夏
昨日買ったばかりの文庫本の中の余白で、夏の印象が焼き付いていた。雨が降っていたはずの締め切った窓の外側からわずかに夕焼に反射する蝉の声が聞こえ、そして室内の暑さに気付いて窓を開け放てば、夏の感覚が再び肌に染み込んで来る。雨、蝉の声、日常の間隙において不意に現れるそれは、まるで行間において本意が飛び込んでくる感覚に似ていた……

Nojikas – バレエ Ballet Mechanic EP



1.バレエ
(3弦1音上げ)
2.喪失はじめまして(
レギュラーcapo7)
3.傴蟲(DADFCE)
4.零度のトレモロ(
3弦1音上げカポ1,最後の方はカポ6ぐらい)
5.Cold Circle Connections(
3弦1音上げ5,2つ目はレギュラーのカポ4あたり?)
6.ソの余白
7.反響I(
3弦1音上げのカポ2,2つ目はそのカポ1)

 
君はこの音圧に耐えられるか――?
このカットアップ的でおよそ字面的な冠名にさしたる意味はなく、只のそうした記号を被せただけの無思考の所作であり、事実こうした現在であってもできることならもう一度振り戻って冠名の思考をひいては感覚そのものをもう一度洗いざらしにしたく、その想いは思いの外日に日にましてゆくばかりであった。(エウレカセブン,エクリチュールの零点,三半規管喪失,「はじめまして」の声,サークルの冷たくなった繋がり,『上海』の猫背,思考の間隙,反響以前と以後,鼓膜…フラッターエコー等……)今回はある曲(track-4)の一部分ではあるがエモオタク
(@ Paul_Opinion)氏に歌ってもらった。けれども、その曲以外はまるで死にかけている感じであり、全くなにがしたいのかわからないという有様である。エセマスロックを踏襲しつつも、ふたを開けてみればジャンルレスエクスペリメンタル激情吐露コアポップが展開されるのは、斯道においてはともすればパイオニアなのではないのかという迷走ぶりであった。ワイヤードにパブリッシュしてから修正したいところもいくつもあるが、狂気を患ったペソコンが許してくれないので不完全燃焼というところである。また、曲の錬金捻出能力もすでに限界を感じて来ているので、今後はなにか他のものに逃避しようと思う。
誰かに依頼をお願いするのは初めてなものであるから、連絡から交渉まで多くの点で反省すべきところがあった。今見返しても背筋がひやりとするメッセージの文面は「歌詞はないけどとりあえず自由に叫んでくれ」「最初は狂気的に、その次はフルパワーで」などともすればふざけているのではないかというものであり、これほどわけの分からない指示もないだろうと自分で書いておきながら思わず感じてしまった。声を入れるという思いつきは最初から念頭にあったものの、漠然としたイメージしか膨らませることができなかったので、エモオタク氏に全幅的に解釈を任せたアウトプットから、また新たに配置や展開を構築していく形となった。エモ氏が歌った通りではないかもしれないが、色々と試行してみた結果今の形に落ち着いた。激情のバイオレンスゾーンだけは格好良く仕上がったと思うのでのでこれもエモオタク氏
の歌があってこそである。ありがたい。とはいえ当初目指していたよりもオケがにあまりにもペラペラだったため音圧を上げなければならなかったのだが、そのやり方を全く知らなかったのでMS処理や様々なVSTを試してみたのだが、最終的にはリミッターで「そういう感じはまあ分からなくもないかな」ぐらいまで無理やり音圧を上げた。せっかく歌ってもらったのにこれではオリジナルを蔑ろにしているのではないか、と思われても仕方ないのだがそんな気は毛頭もない。むしろ感謝しかない。しかし、制作途中でふと感じたのが、エモオタク氏本人が作る楽曲があまりにもエモオタクとしての世界を成立させてしまっているので、やはり激情ハードコアの王道的なスタイルそのものだけではいちファンとしてはいささか面白みが欠けるとも思った。音楽自体にもっと狂気的でグロテスク的で残酷的なものがあり、なおかつそれを直接的に表現しない感じでそれらが際どく相乗した空気が独特の緊張感として昇華される音楽を生み出すことができれば面白いだろう、と頭では思っているがなかなか音像化にはまだまだほど遠い。

 
回れ、回れ、生命のリキュールよ、回れ、ゼリーよ、わが肉体のシロップよ、優しい言葉だ……レコードプレヤー。
去年の終わり頃からずっと真っ暗なトンネルをくぐっているようなうだつの上がらない感覚が続いていたが、実現はしないだろうと想いながら生まれたバンド実践用の実験曲が、思いのほかこの暗澹たるトンネルを抜ける隘路/活路になるのではないかと感じ、この契機に乗って勢いあまって2ヶ月ほどで作成したが、 曲の捻出は精神と現実と電脳のなかで起こる幾多の障碍の輻奏によって迷走を極めた。

 ことのはじめはパソコンからブルースクリーンの強大なエクトプラズムのような意志が顕著に現われ始めたことであった。ほどなくして愛用のNexusがCubaseのvstインストゥルメントリストからにわかに消失した。それから曲の輪郭を歪み尽くすほどの吐瀉ノイズが絶えず再生ボタンを巣食い始めた。それはトラックを無効化やインストゥルメントをフリーズさえ無効力であるほどのノイズに成長することもあった。曲自体はグラインドコア並みの曲の短さでありながら、ガチガチに凍結武装をして作業をしなければならなかった。聞こえない音を想像しながら透明なパズルを組み立てていくようなやりづらさであった。しかしその狭窄的なやりづらさは肉体面からも出ていた。技術とアイデアとアウトプットの湧出の限界は痛切に表れ始めていたのである。 気づけば凝りもせず汎用性のない変則チューニングの思考停止的なコードの螺旋を巡回し、あまつさえドラムはほとんどを収録プリセットから乱用する始末であった。 途中で何を目指しているのか全くわからなくなり、曲の捻出はただの作業に変わり、ついにはそもそも曲自体が非常につまらなく感じ、「もとよりなにが面白くてこんなことやってんだろう」と思い始めた頃にはやはりこの忌まわしき精神世界から一度1,2週間ほど遁世の措置をなさねばならなかった。一時の衝動だけでの捻出ではどうにも盲目になるところがあるから一度俯瞰して客観的に観察してみなければならないというのは創作的行為における鉄則ではあるが、それはこのような気持ち良くない自慰にも似た卑しい精神の対峙であっても例外ではなかった。しかしその俯瞰がさらなるゲシュタルト崩壊を引き起こすことは全く考えようがなかった。こうして曲の捻出は半信半疑のままに終わり、生み出された捻出物群はやっとのところでアルバムの形を保っているとはいえ、それぞれは全く散文的なものであり、加えて「もしかしたら全く良くないのではないか?」という瓦解の経験は未だにには払拭しがたいものでった。とはいえ、少しばかりの遁世を経たおかげで自信を確信している曲もなくはない。それはインストものしか選択肢がなかった自分にとって新たな可能性をしたたかに感じられるものであった。to be to be to be to be to be continued…


Nojikas – 解体 Disintegrations



1 附室
2 京都鬱景 [DADEBC]
3 沈潜と浮錨 [DADGBE]or[EADGBE]or
4 地下室の青春 [DADFCE]
5 とうとうたらり [EADABE]
6 間歇するモスキート [EADGBE capo=1]
7 疫苗
8 解体 [EGDGC#E]
9 レコードプレーヤー [DA#D#EBD#]
10 しんくうのなか – telephone RMX

曲名に日本語を含む場合、楽曲をダウンロードする際に、ファイルの損失や文字化けが生じる可能性があるため、曲名は日本語名に英語名の表記を加えた形にしました。


これさえあれば、もうデパスは要らないね――
 アートワークはもともと情報量多めのグロッキーなものであったが(前半の2曲のイメージや色調などがドンピシャで重なる感じであった)、最後の最後できわめてシンプルな幾何学的なデザインのものに変更した(そして戻した)。インパクトには大きく欠けるが、万人受けという点では大きく勝っているだろう。また、このような幾何学的デザインはいわゆる数学系な音楽に対して好んで用いられるような一種のステレオタイプ的なデザインであることから、ある非常に限られた人々にとっては確信的な要素として捉えられかねないのだが、いざ蓋を開けてみれば、そのような数学的要素はほとんど皆無に等しいようなパワー系ギターポップであることにいささかの裏切りを与えられるのではないかというささやかなな狙いがあってのことである。とはいえ、そもそもダウンロードされるという見込みはほとほと皆無であるから、アルバムの価格設定は0¥から購入できる投げ銭にしておいたのでだれでもダウンロードできるはずだ。同じ学生の身分として、とりわけ派遣バイトすら億劫になってブルジョワウェイへの呪詛を書き上げるようなニヒリズムを気取った貧乏苦学生や、引きこもりの三毛も、ワイヤードを徘徊する病的なネットデジタルジャンキーや、過去も未来もなにもかもがしょうもないと思いタラレバや結果論の環状をえんえんと周回する自己憐憫と他人へのどうしようもない劣等感と羨望を抱えた愛すべき少女も、「生まれた意味がなければ生きる意味も死ぬ意味もない」とうそぶきながら誰かに愛されることを望んでそのわりに一刻も早く死ぬことを夢見る他愛もないステレオタイプの妄想に侵されたアイツや、おっさんに抱かれたところでお金よりも承認欲求が満たされるような無尽蔵の心臓の空洞にとらわれたガールズ・オブ・セックスマシーンだって、結局のところ人間との間でしか存在価値は見いだすことができないと悟った顔をした自分だけは特別という信託に拘泥され続けるあのバイト先のナードも、夜あまりにも眠れずに手にした一冊の本を読む瞬間、ただその瞬間はじめて生きた心地がするような文学処女や、失われた時を求めてを読むマッカラーズ、その笑い話を思い出しながら読む君も、インゲボルクを待ち続けるトニオも、たとえば、行く場所もなくさまよい続ける平行世界の人たちであっても……。冒頭の通り曲名には英語名を加えておいたから、ともすればこののようなへんてこな一隅に迷い込んでしまいかねない世界中の音楽に乾いた耳ざとい人々のためにも、バリアフリーに接してもらえることだろう。


ド・マン曰く「批評家たちが自分自身の批評的前提にかんして最も盲目になる瞬間はまた、批評家たちが自らの最高の洞察を達成する瞬間でもある」ってさ――(笑)
『解体』とはなにか――それはつまり文字通り「脱構築」のことである。そしてここで述べている冠名の意味は正確には上記引用文にあるド・マンの『盲目と洞察』において語られるその脱構築を応用した批評――レクチュール(読むこと)のグロテスクともいえるほど「不完全」なシステムの在りかたから”不可避的な内的齟齬への盲目性によって「洞察」そのものが支えられていることを暴く”、というド・マンのいわゆる脱構築批評云々に触発されたものだ。透き通るブルーの色合いが鮮やかな装丁にひどく惹かれ手にしたこの透明感あふれる本著はしかし船を編むさながら文字やひいては文字を読むレクチュールの認識がゲシュタルト崩壊していきしまいには文字と逸脱と空白の海でタイタニック並みのドラマを展開するという読んでいて非常に腹立たしい本である。最初と最後(解説)だけ読んで理解すればいい●レカセブンみたいなANIMEだ。僕のように浅学の人は知らない固有名詞を不親切に列挙されても象形文字にしか見えないのだが、とはいえプルーストが俎上に上がった所はもはやよく覚えていないが面白かった。それよりプルーストは最高だ。失われた時を求めてはおもしろさが止まないもはや金太郎飴プログレである。一期のショタが生へと目覚めていく葛藤ともどかしさやドギマギとしたときめき要素に胸をうたれつつトイレでシコるシーンは感動の涙を禁じ得ない。訳は井上訳一択だ。原点にして頂点である。吉川訳は資料が豊富で一見する価値はあるが井上訳と比べるといかに井上訳が巧みかがわかる。ほかの訳はしらん。
ド・マンの脱構築批評において重要な概念一つにレクチュール(読むこと)の徹底的な内在性というのがある。読書、批評、読むこと、テキストを介して行われるこれらの行為は、たとえどのような認識が共有されているとしても結局は個人の内在的な解釈によって処理されるから、つまり純粋に同じ意味を、同じ解釈を得られることはないということである。そしてそれは「必然的な責務」であり、そして「レクチュールは本質的な誤読」である。言い方を変えれば、テクストを読むことは、つねに新しい意味を生成してくことである。つまり、「レクチュール(読むこと)は、同時にエクリチュール(書くこと)でもある」ということだ。そうすると、「批評家が最高の洞察を達成する瞬間はまたもっとも盲目になる瞬間である」というこれは、つまるところそのようなレクチュールの「盲目性に取り憑かれた」必然的な責務、誤読的なプロセスやら読み手との絶対的な相互依存的な関係やらに対して見えなくなるということである(忘れた)。
伝達の手段として言葉、テクストはその受容の絶対的な内在性ゆえにあまりにも不完全的なものであり、それはいささか伝達の手段としてみればいささかグロテスクですらある。”批評は文学テクストの本質的な意味を暴くメタ言語であるどころか一種の比喩形象でしかない”、そしてそれはあらかじめテクストに組み込まれた、言語の働きの一部分でもある(「解釈の意味論は、いかなる認識論的一貫性も有していない」、非科学的なものだ。)とはいえその齟齬は多彩な多様性を生みだしていることも事実だ。そして、文学――文学とは、まったくそのようなものであった……

「九月初旬の空の下、カフカはリーヴァの堤防の上に立っていた。」――
“マスロックのデジタル的アプローチ”というのがnojikasの最初の指標および一つ目のEPのコンセプトのようなものであったが、このような数学的な音楽と向きあえばむきあうほど、そして作れば作るほどマスロックというものがきわめて難解な所業であると痛切に感じ始め、そもそも難解なリズム音楽をつくり出せるほどの技量とリズム的感覚を持ち合わせていないのではないかという疑いさえ持ちはじめたあげく、Nojikasはその存在の余白を得るために『実験的ロック音楽プロジェクト』などと自称し、その結果、“マスロックのデジタル的アプローチ”という当初の目的は、いつのまにか“未知のコード感とリズム”というような指標にまで変態していたのである。それもそのはずであり、アルバムを通して拍子はほとんど4/4、たまに5/4がはいるだけの変拍子とはまるで言い難いものであるから、密やかにマスロックのタグ付けしていることに後ろめたさを感ぜざるを得ない。まだまだ改善点もいくばくか見られる。次回作はもっとちゃんとしたのを作ろうと思う。


元ネタ
1 附室…大学で発見した。なんやねん、このよく分からん奴は。トマソンか?収容案件か?という字面からの妄想。
2 京都鬱景 …『東京鬱景』が元ネタ。「鬱景」の読み方は勝手に決めた。
3 沈潜と浮錨…躁鬱の浮沈だ
4 地下室の青春…伊藤海彦『旋律と風景』より
5 とうとうたらり…響きがいいよね
6 間歇するモスキート…蚊との闘い
7 疫苗…造語。
8 解体…脱構築。
9 レコードプレーヤー…”レコードプレヤー。”『嘔吐』で一番好きなシーン。 
10 しんくうのなか – telephone RMX

前作

https://kyohshitsunoichigoo.wordpress.com/2016/03/29/nojikas-buried-alpha%E2%80%8B-%E2%80%8Becho-system-underneath-in-your-mind/

Nojikasというバンドについて


ひらたくいえば卒業制作的なものとして、そして4月から始まる精神的に地獄のような生活に赴く際の冥土の土産的なものとして、なにか少しでも残せるものがあればと思い、いくばくかの使命感に突き動かされ、インタールードを含んだ全8曲の私的なミニアルバムをひとつ制作した(※バンドになりました。ライブします。下記に追記有)。

1.振幅 02:10
レギュラーチューニング
2.実験 02:52
2弦以外を半音下げ、3弦をさらに半音下げ
3.変質 03:13
2音下げぐらいのダウンチューニング(覚えてない)
4.過去東京 01:01
5.アウトサイド 01:59
3弦1音下げ、2弦半音上げのカポ1
6.猿真似 01:51
FG#C#FCC#のカポ5。ずっと前に作った曲をアレンジしただけなので猿真似
7.蛇足 00:43
8.音楽のない街 03:29
レギュラーチューニング。2番目の『壁の花と踊る』がお気に入り。かなり前に編み出した曲なので猿でも弾けるくらいめちゃめちゃ簡単


土地の名、――名
これにあたって僕はこのきわめて奇っ怪な演奏をするバンドに名前をつけねばならなかった。さして役にも立たない非鉄スクラップのような単語メモ帳のなかから無作為に選びだしたのは”deer”と”música”という単語であった。これらを元にしてどうにかもっともな感じにひねりあみだしたのがnojikasという造語である。この語は調べてみると苗字や名前にも用いられているらしく、外国では名字や名前をそのままバンドネームにしてしまうことはポピュラーであるので、そのロジックにも密かにあやかっている。しかしほんとうのところは、とある外国のネットジャンキーな音楽マンからDMを通して個人的なインタビューのようなものを受けたときに「オイ、バンド名の由来って、結局なんなのよ?」と訊かれるまでは特に大したことを考えていなかったので、そのときになってようやくそのような意味をやっつけにそれらしく語った(騙った)のだが、やはりどのようなものにせよある事物に個人的な、きわめて個人的な意味で名前を付けてやることは、ほんとうに難しいことで、また、いささか恥ずかしく大変勇気が要る作業でもあるので、その冠名にもっともな理由を付してやることによって僕はようやくこの何ともいえないどぎまぎした気持ちから抜け出すことができたのである。ちなみにほかのバンド名の候補は「性癖確認」「ウンコマニアックス」「ゲロゲロゲロンチョ」「ぼくはユーフォニアム(響け)」「nice shoes…wanna fuuk?(これはある曲名である)」「ok-ADHD」「楽典死ね」などがあった。ほかにも「電波傍受トナカイ」というものがあるが、これは当時まだいとけない従姉妹との共作による偶然出来あがった落書き――頭部から木の枝のように広がったアンテナのような角で電波傍受を行う馬とも牛ともつかない有蹄類の様相をしたトナカイらしき動物の絵――から名前の着想を得たものであり、これもまた由来の一つである。
なんにせよ語呂や字面がムカデみたいに気持ち悪くそれっぽい風をしているというだけで冠した無意味的な記号のようなものである。そしてこの機会に乗じいかにもそれらしい風情をなしたアーティスト写真なるものを描いた。これは大学のサークルの交流会で大学の近くのある動物園に行った際に、当園人気ナンバーワンのカンガルー達とそのアスレチックのような木造の棲家の写真をトレースし加工したものである。しかし撮影当時は肝心のカンガルーは物臭をしているのかどこにもいなかった。そして僕はその日だけでサークル辞めた。

「デジタル・マインド・ワイヤード・アクセス・アレルギー・コンソールに引っかかったと思ったんだよ。でも違った、ただ単にぼくがコマンドを打ち間違えていただけだったんだ。」
まだ便宜的にバンドと称するいくばくかの材料はあれど未だにこのバンドのメンバーはギターの僕一人であったから、そのため何百ドルを賭して非常に強力なリズム隊のメンバーを招聘しなければならなかった。ゴリアテ田中(Ba)とDJアディクティブ吉澤(Dr)という2人である。この二人はまるで機械のように、ぼくが指示したフレーズとリズムを寸分の狂いもなく再現してしまう、ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉さえもその器には小さすぎるような、あまりに無尽蔵の実力を兼ね備えた最強のリズム隊であった。一つ難点を挙げるとすれば、彼らは机上電脳のサモンプラグインを通じてしか現れてくれない非常にシャイボーイな性格の持ち主であるということだった。(


※追記(2018-2/11)
バンド化したぜ~!ウッヒョーイ!ギターにイケメティックサイクロンことfulusuの本多弦氏、ドラムに爆撃機の権化(akaドラムヌの神童)ことnhomme等のあべ氏、そしてベースにチンピラウェイゴリラというメンバーでバンド!ウェイウェイウェイ~~!やばぜポヨポヨポヌォーぬろぱぱぱっぱパピパピパ~~ワッショショソイノスs家太郎~~~見に来てな!!!!!!!!!!!!!!!!

2015/10-月録(人並みにDTM計画)

DAWソフト(Cubase)やドラム音源(Addictive Drums)を導入しいくぶんかの土台を整えたオイラを待っていたのは、DTM最後にして最重要のファクターとなるオーディオインターフェイスであった!!
本音を言えば十万以上の代物で今すぐにでもプロフェッショナルな音を出したいと思っていたのだが、さすがに高価で手が出ず、しかしあまりにも廉価な下位機種でも心もとないので、熟考に熟考を重ねた結果SteinbergのUR44の購入した次第だ!!

 



他のオーディオインターフェイスを持っていないのでなんとも言えないが、いくぶんか音質は良くなったと感じる。さらに、各ソフトごとに違うオーディオドライバーの齟齬もインターフェイスを介することで解消された。
出入力もこの環境では有り余るほどあるので、かなり応用が効くだろう。アンプシュミレーターはCubaseやUR44付属のVSTがあるが、やはりAmplitubeのほうが頭一つ抜けている(フリー版だけど)。今後はエフェクトやシンセサイザーなどのソフトウェアを強化していきたいと思っている。

2015/09-月録(人並みにDTM計画)

AmazonでAddictive Drums 2のSolo Bundleを購入した。
Amazonで購入したからといってディスクがあるわけでもなく、ただなんとなしに期待させるような大きさの箱に、プロダクトキーが書かれた紙一枚が入っているだけであった。

紙に書かれたオーソライズのマニュアルのリンクが切れていたのでいささか不安になったが、おそらくはこのリンクであろう。http://www.h-resolution.com/xlnaudio/AD2_Install.php
マニュアルをよく読まなかったために間違ってHigh Resolutionのアカウントを作ってしまった。正しくはXLN Audioのアカウントである。紛らわしい。

今回購入したのがSolo Bundleなため、ドラムキットは(MIDIデータ、キットピース共に)一つしか選ぶことができない。私はメタルを選んだ。大は小を兼ねるという通り、申し訳程度ななよなよのポンポンキットでメタルな音楽はできないが、逆にメタルのドラムキットでは、ジャズからハードロックまで十分にカバーできるというわけだ。加えて、ラウドで乾いたこのドラム音は、私の求める音にかなり相似していたので、Black Velvetと迷ったが結局これを選択した。

2015/09-月録(人並みにDTM計画、序)

やにわに俺も人並に聴ける音楽が作れればと思い、ほとんど迷うこともなくCubaseを購入し、そして内蔵音源がそれほど大したことがないという事実を知るまで、さほど時間を有しはしなかった。強いてDominoよりは一段レベルアップした音色ではあるが、これは有線放送かスーパーのBGMで流るるか否かのレベルである。内蔵音源だけで中田ヤスタカ程度の音色には仕上げられるだろうなどと勝手に思い込んでいたこの愚者は、Cubaseが醸すあまりの音色のチープさにしばし立ち尽くすことしかできないでいたのだった。
我に返った俺はもう一度「結局のところおれはどんな音楽が作りたいんだ?」と一考した結果、まずはバンドサウンドを活かした曲を作ることを第一の目標としたのであった。 (つづく)