乞骸の書-自由への道-

 時期としてもおよそ適当であるので、高校を卒業するタイミングで退職における書類をアルバイト先に提出した。かつて学校へ通いながらアルバイトを兼業していたときなどは、確かに肉体にはこたえるものの、あくまで学校の副産物的な存在としていくばか気分は楽なものであった。しかれども、家庭研修期間や春季休業の間はどうしてもアルバイトのことが中心にもろもろの思案や生活が動いてしまうため、たとえシフトの入っていない日であっても「今日はバイトない日/ある日」などといった具合に、いつの間にかおだやかな日常生活はアルバイトという魔の呪縛におかされてしまっていたのである。いざ乞骸の書の旨を主任に伝えてもその気持ちは休まることはなく、それどころか唯一の収入源を失った今、未来への些末の不安は次第に風船のようにぶくぶくと膨らみ始めていき、春のなまなましい虚空に漠とした不安が薄らと張り付いているのをただぼんやりと見ている自分が、まるで軌条の上に迷いこんだ子猫みたいな気がしておそろしく寒気がした。

 かくしてアルバイトの呪縛から解き放たれたこのわずかな猶予に一体なにをしよう?幸いにして花粉症は未だに患っていないから、つつがなく外気に触れて季節のうつろいを感じることができる。去年の春休みには桜の写真撮影とともに河川敷をのんびりと散策したものであるが、ほとんどは4月から始まる新しい生活の下準備に費やされてしまうだろう。

 先般、風邪と思しき症状で丸4日程も寝込んでいたのに、それがどうしても必要な現象であるような気がしてならなかったのは、それが季節変化におけるデトックスの役割をしていたからなのだろう。変化する環境に順応するということは、少なからず体力や精神的な余裕が必要であり、自分が思っている以上に心労が積もるのものであるから、つとに身体の調整をせねばならない。
 体全体に広がった倦怠感と漠然とした吐き気のような症状に苦しめられ、寝て起きるだけを繰り返す漫然とした日々とその虚無のなかで、春季休業の4日間というまことに貴重な時間を反故にしてしまったことを、今一度忘れてはならないと心に誓うのと同時に、はからずもある記憶の細やかな断片が頭を間隙なくかすめたものだった。

 まだ小学生か、年端もいかない頃のある春休みに、祖母の家のバルコニーでシャボン玉を飛ばした。薄い膜のガラスの球体は風をうけてゆるやかに飛び立ち、やがてはじけて消えるまで、街のあらゆる色の光を吸い込んでいた。その光景は〈風光る〉という言葉のイメージそのものであった。

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 Plenue Dを購入した。以前はウォークマンを使用していたが、思わぬ輪禍に遭い急逝してからXperiaを再生装置として使ったり使わなかったりしていたが、やはりDAPは個として持っていたいのでこの機会に新しく購入した。
 残念ながらAACが再生できなかったのでほとんどをMP3に変換したのだが、それでも音質は非常に良い。ウォークマンのようなアーティストや曲の50音表示はないため少々検索はしにくいが、再生画面のUIはとても気に入っている。筐体の大きさは非常に良いサイズで、ちょうど手のひらに収まる感じである。ユーザーフォントは「ほのか明朝体」に落ち着いた。明朝体ではあるが、全体的にまとまりがあり、漢字と平仮名の大きさに少し差があるため、いささか瀟洒な雰囲気がある。ウォークマンなどではこういった明朝体は使用できないため、非常に新鮮である。

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