胚胎

 食傷してしまうほどの退屈というこの上ない贅沢を荏苒と反故にし、連綿に続くように思われた猶予もいよいよ終わりをむかえるとき、ざらっとした犀利な不安が虚を突いたようにおそってきて――くわえて、えもいわれぬ焦燥にいてもたってもいられずに――、市内の図書館で読みもしない文庫本を数冊と借り、そして読みもせずに返却ポストへと返すとき、ともすればそのことさえも忘れてしまいそうなほど”あまりに多くのもの”が変わっているだろうから、と少しは未来を想像しながら、まだ足踏みはそぞろのふりをして帰途に就くのであった。


気づいたときには音楽は非常に身近なものとして存在していたから、音楽が人に与える恩恵や影響力というのを、たとえば、独房やはるか辺境の遠隔地のような、音楽の存在を一切絶った環境下でながく生活でもしないかぎり、それらを自覚するのははなはだ難儀なことであった。
20xx年――或る場末のとあるコンパクトディスク蒐集家は言うのだった。
一家に一台でかいステレオでもぽんとあれば、少なくともわざわざコピーして再生装置に転送してから聴くなんて手間のかかるようなことはせんよ、あんたはこれをどうおもうのかい、もはや価値のないただの円盤にみえるかい、皆がみな同じようにそう思ってしまったとき、計り知れない何かが――そう、計り知れない何かが――ぽかんと、たった一瞬間のうちに消えてしまったんだよ。ただの物質主義かもしれんけど、ひとつの愉しみがそこにあったんじゃないのか、と。
しかしそれは間違いであり、そして正しくもあった。けれど、僕が導き出すことができた答えはたったそれだけで、それ以上の理由を述べることはできなかった。なにしろ、僕たちが生きる時代ではコンパクトディスクというものは〈はるか昔に普及していた――つまり現在は廃絶されてしまった――音楽媒体〉であり、今ではもはや使い物にならないただの円盤の貌をした化石なのであったから。

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