アミタール・ソーダで夢さえ見ない夏(弐017ナツ纏め)

上北沢無電塔前
 わずかな賑わいを見せながらしかしその潮時は遠く、真昼の透光はいよいよ遠方へ過ぎて行くと、長い間静まり返っていた市街は再び繁華の様相を呈し始めていた。しばらく歩き続けてきた両脚と喧騒の休みどころを探して小さな古本書肆に足を踏み入れると、忙しなく進む街の速度はとみに低速になってフィルムの一齣のようにに静止すれば、僕はすでに深い興味の中に沈み込んでいるのであり、そして店内を満たされ始めていた痛ましい何かにようやく気づいたときには、店の小さなスピーカーから不似合いな哀しさを湛えていた別れの曲がいつの間にかジムノペディに変わっていたのだった……

単純な生活のなかにあってその構造に深く組み込まれたあらゆる記号の存在は生の進行においてきわめて重要な指標であり、人間は無意識にそれによりかかりながら各々の生活パターンを繰り返している。あらゆる変化や現象の生起は記号の変化と密接に係い合い、その一つひとつに便宜的に名が付されているのであるが、それらの記号によってつくり出された様々な観念や経験的法則が円環の形状を強かに固定しているため、不規則な事物の生起はその受容において多大な負荷を被るものであり、例えば私が抱いたサイクルの瓦解的感覚はやがてその全体性をも失認しかねるほどに発展してしまうのであった。それは上述のような単純なパターンの繰り返しが窮屈なほど膨大な規矩を基にして構築されているという事実を、そしてその循環が低速ながらに進んでいるというまあそんな感じみたいなやつをもたらしては云々……

『Xの回想』より
《“美しい夢。湖畔の雛壇式庭園、できることなら自分がなりたいと思うもの、つまり夏の空に向いているドア。”》
 ――店を出ると夏は終わりかけていた……


窓ガラスヲ開ケ
夏の静止的な時間の潮流は絶対的な印象の上で絶えず虚空に空回りしている。その少楽曲の反復のようにきわめて単純な調子で……しかし夏の観念は飽和され、そして花火のように弾け、飛散した印象の断片は頭の中で限りなく印象的に再生される……季節の新しい海が溶明とその顔を覗かせていた。今年も又夏を反故にしてしまったような気がする……
誰もがどこにも行けず、またどこにも行けない。おそらく誰もそんな小洒落た背反に憐憫して下らない満足に浸っているのだ。過去に拘泥され続ける少女も、あいつも、あの人も、君も僕も、ジェームズも、ラーメン屋の店主も、見習いのバイトも、事故ったやつも、学校サボった不良も、殺したいやつも、三毛猫のモケリング-αも、アロエが大好きなディスコババアも、Cドライブに置き忘れた機構ファイルも、未来しか見えない分裂病のアクアビークルも、毎日朝一の教室でハードドラッグをキメるラリパッパジャンキーも、爆破予告を送りつけるのが趣味の自称爆弾魔も、ウェルテルの愛をもって入水した蔵之介・ルキエも、nojikasとかいうケロケロゴミバンドのアイツも、 ハーレム主人公の引力の研究に一生を費やしたサイエンティストも、自殺未遂で風紀委員に直接的に絆されたカフカが大好きなメンタームスティック餓鬼道も、次元跳躍して謎の集合体に成ったあげく霊異世界に更迭されたあのポポロンクロイシスだって……


行間の夏
昨日買ったばかりの文庫本の中の余白で、夏の印象が焼き付いていた。雨が降っていたはずの締め切った窓の外側からわずかに夕焼に反射する蝉の声が聞こえ、そして室内の暑さに気付いて窓を開け放てば、夏の感覚が再び肌に染み込んで来る。雨、蝉の声、日常の間隙において不意に現れるそれは、まるで行間において本意が飛び込んでくる感覚に似ていた……

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